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タリバンとは何者か、なぜ恐れられるのか [政治・時事]

ニューズウイーク日本語サイトより
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/08/post-96950.php

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タリバンの起源

 アフガニスタンの公用語であるパシュトゥー語で「学生たち」を意味するタリバンは、1979~89年によるソ連のアフガニスタン侵攻に抵抗したイスラム・ゲリラ組織の戦士によって形成された。
 カンダハル州のイスラム教導師だった、ムハマド・オマルが1994年にタリバンを創設し、米CIAとパキスタンの情報機関である軍情報統合局(ISI)が、同組織を密かに支援していた。

 パシュトゥン人は、アフガニスタンの南部と東部で多数派を占める民族であり、パキスタンの北部と西部における主要民族である。
 イスラム神学校で学んだパシュトゥン人の若者たちが、タリバンに参加した。 
 そしてタリバンはアフガニスタン南部を拠点とし、同地域で影響力を拡大していった。

 1992年にソ連軍が撤退した後、タリバンは1994年までに同国南部で影響力を拡大し、複数の州を制圧。
 1996年9月までには首都カブールを掌握し、大統領を殺害してアフガニスタン・イスラム首長国を樹立した。
 タリバン政権が最初に行ったのが、「コーランの定めに沿った法律の厳格な解釈」で、「女性やあらゆる類の政敵、宗教的少数派の処遇についての無慈悲な方針」が含まれた。
 全ての国民を組織的に抑圧し、個人の最も基本的な権利さえも否定し、特に女性に対する弾圧はとりわけ恐ろしいものだった。
 処刑を含む残虐な体罰や、宗教・表現・教育の自由の極端な弾圧も含まれた。
 少女たちは基本的な医療も受けられず、一切の学校教育を受けられなかった。
 歌や人形、ぬいぐるみも全てタリバンによって禁止され、子ども時代さえも奪われた。
 女性に対して、レイプや拉致、結婚の強制などのひどい暴力を行った。
 娘を守るために、パキスタンやイランに送った家族もいた。


 タリバンは、2001年9月11日の国際テロ組織アルカイダによる米国ツインタワーの同時テロが起きるまで、長年にわたってアルカイダをかくまい、「テロリストを自由に補充し、訓練し、ほかの国々に配備できる」ようにするための拠点を提供していた。

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 米国によるテロの報復戦争を非難する考えもありますが、タリバン政権によるアフガニスタン統治は、我々西側に住む者にとって想像もつかない程に過酷だった様です。
 米国を始めとする西側諸国による、一方的な民主主義の押しつけであると非難する意見をよく見聞きしますが、世界は何かを避難することばかりを考えず、前に向かって考えなければなりません。




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